雑草とイマジネーション

 ウメの花が見頃を迎えるとともに、ちらほらと「雑草」が顔を出すような時季になってきました。

 

 よく言われることですが、「雑草」という名の植物はなく、話し手がその名前を知らなかったり、人間にとって利用価値が低ければ、まとめて「雑草」として片付けられるに過ぎません。

 

 街中では、植え込みの中へゴミを捨てる人や、植栽の枝が折れそうな位置に腰掛けている人がいますが、例えば盆栽をやっているような人は、けっしてそういったことはしないと思います。

 

 それは、その人が「サツキ」ならサツキを、「サツキ」として認識しているからです。

 

 また、建造物の少ない郊外に出かけた時、植物に興味のない人は、「この辺って、何もないね。」で片付けますが、植生に興味がある人にとっては、宝の山となります。

 

 何が言いたいのかというと、同じようなことが人間関係にも言えるのではないかということです。

 

 名前を知っている人の前では、礼節をわきまえているような人でも、見知らぬ人の中では、「他者」を「他者」として認識するイマジネーションが働かず、自分勝手に振る舞うことがあります。

 

 二十四時間、気遣って生活していたら精神的に参ってしまいますが、「それ」を「それ」として認識するかどうかで、人間の態度が変化するというのは、おもしろいことだなと、「雑草」という言葉を見聞きする度に思うのです。

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コメント: 1
  • #1

    良子 (木曜日, 14 3月 2013 23:44)

    いますねー植え込みを背もたれにしてる人!もっとひどいのは 携帯で喋りながら、何気なく枝をポキッポキッ折ってる人!自分の髪の毛を抜け!!って言いたくなります。
    道端の野草の本買いました♪私のお気に入りニワセキショウ載ってました。かなり楽しいですねー。

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